2019年1月19日土曜日

LKIT-16

世界で初めて16bit CPUを量産したのは日本のパナファコムという富士通と松下合弁の会社で、私が最初に入社した会社です。合弁とはいっても富士通色の濃い会社でして、同僚は富士通へ勉強に行っていたりしました。
上司の上司で当時、開発企画の部長さんは、いつも煙草をふかしている人で、デスクに堆く積まれた書類の山が記憶に記憶に残っています。およそ50cmはあろうかという高さでしたが、あるとき地震が来ても、倒壊せず、してやったりピースサインをしていました。今思うと、古きよき時代だったですね。

そのCPUのアーキテクチャの論文が見つかりました。(今思うとパナファコムは、自社オリジナルCPU用のBASICやらEPOCALCという簡易言語まで作ってしまう凄い会社だったと思いますが(C言語以前で、LEXやらYACCもなかった時代です)、優秀な人が多かったように思います。女子のソフト屋さんに東女出身が多かったような気が。)
https://ipsj.ixsq.nii.ac.jp/ej/index.php?active_action=repository_view_main_item_detail&page_id=13&block_id=8&item_id=25321&item_no=1

都村さんが、アーキテクチャ設計者だったとはついぞ知りませんでした。しかも、ワイアードロジックと記載されています。当時の主流はマイクロプログラムだったと思うのですが、HDLや論理合成技術のない時代に大変な事だったと思います。(確かレジスタ間演算が300nsだった記憶があります。今の時代からすると1000倍位遅いです。)


当時、私は、周辺機器FDDの評価を担当していました。その後アルプス電気に転職してFDDを設計しました。

その後、私は独立し日本で初めてVerilogHDLシミュレータを開発設計することになるのですが、こうして手書きのアーキテクチャを見ると感慨深いものがあります。

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